野菜の旬は品種によっても広がっていく
野菜の旬についていくつかの視点から話を進めてきました。
旬の野菜を食べなさい!の本当の理由
原産地の気候にあわせて、快適である旬に育てることが、元気に健康に育つことになり、結果として栄養価が高くなり美味しくなります。
旬の野菜を食べなさい!を陰陽から考える
野菜には身体を冷やしたり温めたりする作用があるから、それを食べる人間が旬を意識する必要があります。
畑で使われている黒いビニールと暖房器具との深い関係
ビニール資材を使うことで少しだけど旬を広げることができます。
食べる旬と育てる旬は違う 野菜が美味しくなる季節は冬
食べておいしいと感じる季節と、野菜が育ちやすい季節が違うという話。
ひとくちに野菜の旬といっても、さまざまな要因がからみ、さまざまな角度から見ることができるということが分かったかと思います。
今回はさらに、旬に対するもうひとつの切り口をご紹介します。
食卓での話題のひとつとして是非ご活用ください。
原産地の記憶
野菜には、それぞれ原産地があります。
原産地ってなに?という疑問にいちおう触れておきますが、ごく簡単にいえば下記のような感じです。
(画像参照元:Salad cafe)
たとえば。
トマトはずっと昔から日本で育っていた植物ではなくて、元をたどっていくと南アメリカ大陸のアンデス高地で自生していた野生のトマトが祖先です。
その野生のトマトからタネを取り、そのタネを畑に播いて育て、育ったトマトからまたタネを取り、果実が大きくなるものや甘くなるものを選び続けてきた結果、いまのようなトマトが出来上がりました。
そうしてタネを取り続けていく過程で野生のトマトが野菜のトマトになり、世界各地へ広がっていったという経緯があります。
この野生だったころのトマト、一番最初に生きていた地域、つまりアンデス高地がトマトの原産地です。
そして。
トマトには、アンデス高地にいたころの記憶が色濃く残っています。
雨の降り方や土の湿り具合、湿度、最低気温や最高気温、日射量、四季の移り変わりなどトマトには原産地の気候でたくましく生きるための情報が残っています。
ほかの野菜にも同じように、それぞれの野菜に刻まれた原産地の記憶があります。
これをふまえて。
野菜を畑で育てていくときには、原産地の記憶を参考にします。
原産地の気候が、最低気温20度、最高気温30度くらいで推移するような地域であるトマトにとって、日本では6月~9月くらいが快適に過ごせる季節です。
だからトマトは、日本では夏に育てます。
そのほうが健康的に育つからです。
だから。
トマトを旬の時期に栽培するというのは、原産地理論で言ってしまえば6月~9月くらいに育てて収穫できるようにするということです。
これが野菜を旬に育てるということ。
品種による旬の拡大
さて。
ここまでは前置き。
ここからが本題です。
旬について考えるときに考慮すべきことのひとつに品種があります。
トマト、ナスといった野菜の種類そのものではなくて、トマトの中でも違う特徴をもったもの(品種)が旬に影響してくるんです。
大玉トマト、ミニトマト、フルーツトマト、赤や黄や緑などのカラフルトマト。
同じトマトでも色や形、味が違うのは品種が違うからです。
需要に応じて、もしくは人間の探究心から、トマトはいろんな品種を生みだしました。
その数なんと世界で8000種類。
品種改良は誰のためのものか
そういった品種改良のなかに、旬を求めて改良されたものもあるんです。
つまり、トマトは6月~9月が栽培適期なんだけど、5月や10月も栽培適期になるように品種改良されたトマトもあるということ。
通常のトマトよりも、寒さに強い品種。
もしくは寒くてもよく生長してくれる品種。
そういう品種を生みだしたりしているんです。
これによってなにが起きるかというと。
旬が広がるんです。
6月から9月の4ヶ月間に旬のトマトを味わっていた、それが品種によって5月から10月の6ヶ月間つまり半年に旬が広がるということを意味します。
品種を選ぶだけで旬が拡大するんです。
気候が変わったんじゃなくて、食べる人が変わったわけでもなく、ビニールなどの資材を使ったわけでもなく、ただ品種を変えただけ。
それだけで旬が拡大します。
まあ、それほど大きく旬が広がるわけではありませんが、それでもちょっと広がる。
そのちょっぴり感が人を幸せにしてくれます。
トマトが持っている原産地の記憶は消せないけど、日本という新しい環境に適応させていくために品種改良を行っている。
ただそれだけのことです。
行きすぎた品種改良はよくない結果を及ぼすかもしれませんが、現在の技術では自然界で起こりうる範囲の現象を利用するだけなら度を越した改良はできません。
よほどのことがなければ問題は起きないと思います。
ほとんどの品種改良は認めてもいいと思っています。
品種改良と人種変化
この品種改良については人間にたとえてみると分かりやすいです。
品種による違いとはなにか
人間には人種がありますよね。
白人種、国人種、黄色人種、赤色人種、茶色人種。
アフリカ起源説で考えるなら、アフリカで生まれた人間が世界各地へ散らばっていくときに、それぞれの地域に適応した人種になっていったということになります。
寒い地域に住み着いた人類は、紫外線が強くないから肌が白くても大丈夫な人種になった。
赤道に近くて暑さが厳しい地域に移っていった人類は、照りつける太陽で肌がやられないように黒い肌をもつ人種になった。
というように置かれている環境のなかで、適応し、変化してきたんです。
アフリカでは同じ人間だったのが、住む環境にあわせて身体的な特徴をすこしずつ変化させてきた。
これは、トマトが日本という寒い季節がある気候に適応するために変化してきたのと同じことです。
もちろんトマトの場合は人間の都合でやったことですが。
もしかしたら。
人間の都合で品種改良したんだから人種の話とは違うだろ!
と思うかもしれません。
そもそも野菜は人間と共存することを選んだ植物なんです。
人間にタネをとってもらって、そのタネを播いて育ててもらうことで種を存続してきた。
野菜は、人に求められている変化をしてきたことで人間と共存してきた植物です。
人の期待に応えてきた歴史があります。
品種改良に応えることも、野菜の植物としての生き残り戦略なのかもしれないんです。
だから、環境への適応という意味でいえば、人間の都合で環境に適応してきた野菜と人類の起源説とは関係ないだろ、とは言えないと思います。
このように、人間の都合とはいえ野菜は移り住んだ環境に適応するために自身を変化させてきました。
その変化はとくに危険なものではなく、自然に起こりうる範囲内のごくごく小さなものです。
そのことで私たちがほんのすこしでも幸せになれるのなら、トマトを5月に食べるくらいはいいじゃないかと思いますし、ほかの野菜についても同様のことが言えると思います。
ただし。
ほとんどの品種改良は認めてもいいと思っていますが、例外はあります。
遺伝子組み換えによる品種改良です。
旬の拡大という点で許せるのは、あくまで自然に起こりうる現象の範囲内での品種改良に限ってのこと。
遺伝子組み換えのような自然には起こり得ない改良は、人間との共存を選んだ野菜に失礼ではないでしょうか。
ということで。
遺伝子組み換えの問題については、また機会を改めて書いていきます。