旬の野菜を食べなさい!を陰陽から考える
旬をいただくとはどういうことか。
この答えについて、以前の記事では野菜の立場になって考えてみました。
旬の野菜を食べなさい!の本当の理由
野菜にとっての原産地の気候にあわせて、快適である旬に育てることが、元気に健康に育つことになり、結果として栄養価が高くなり美味しくなる。
という内容でした。
これは、野菜を育てるときの旬についての話です。
旬をいただく、つまり旬の野菜を食べることまでは触れられていません。
今回は人間の立場で、旬の野菜を食べる人間にとってはどのような影響があるのかを考えていきたいと思います。
ぜひ最後までご覧ください。
輸送技術の発達がもたらしたもの
今ほど交通が発達していなかった時代、モノの流通はそれほど広い範囲ではありませんでした。
自動車がなかった時代を想像してもらえればわかりますが、遠くまで食べ物を運ぶことは大変なのでなるべく近くのものでまかなおうとしていました。
地元で採れたものを、地元で消費する。
それが当たり前の時代でした。
そこへ自動車が登場し、航空機が登場し、輸送技術が発達することで状況が一変しました。
地産地消(ちさんちしょう)なんて言葉が流行っていることから分かるように、現在は地元のものを地元で消費しようと意識しなければ、遠くから海を渡って食べ物が当たり前のように運ばれてくる時代です。
旬のものを食べようと思っても、売られているものを見ただけではどれが旬だか分からない時代になりました。
真冬にトマトが売られていたり、春にカボチャが売られていたり。
地元なら4月に採れるはずのエンドウが3月には店頭に並んでいたり。
それらは、遠くから運ばれてきたものです。
真冬に沖縄で育てられたトマトだったり、春にはニュージーランドからカボチャが届いたり。
九州で育ったエンドウであれば3月に愛知県内のスーパーに並んでもおかしくありません。
冬にトマトを食べられる。
春にカボチャを頂ける。
まだ寒い3月からエンドウを口にできる。
輸送技術の発達で食生活が豊かになったことは疑いようがありませんが、一方でなにか大切なものを失っているような気がしてなりません。
じゃあここで。
遠くから運ばれてくる野菜はどんなものでしょうか。
旬から外れてしまった美味しくない野菜だと思われますか?
たとえば冬に沖縄で育てられたトマト。
(厳密には秋から冬にかけて)
気候的には、トマトにとって沖縄は快適で暖かいため原産地の気候に近いと言えます。
そこで育てられたトマトは、元気に健康に育つことができるため栄養価が高くて美味しくなります。
冬に沖縄で育つことは、トマトにとっては旬なんです。
ニュージーランドのカボチャはどうでしょうか。
日本で3月というとまだまだ寒さが残る季節ですが、南半球のニュージーランドでは9月くらいで残暑が厳しい季節。
夏に育ったカボチャを収穫する季節です。
そこで育ったカボチャは旬に育てられたものだから、栄養価が高くて美味しい。
というわけで、ニュージーランドから春に送られてくるカボチャは旬に育てられたものです。
エンドウも同じ。
愛知県では4月頃に収穫できるエンドウは、九州の暖かい地域では3月頃に収穫するのがふつうだったりします。
3月に収穫できるエンドウが、いわゆる旬であり美味しくなる栽培なんです。
遠くから運ばれてきて店頭に並んでいる野菜。
産地から送られてくる野菜は、その土地の気候にあわせて育てられた旬の野菜です。
スーパーで並んでいる野菜の多くは、たとえ冬にトマトが売られていたとしても旬の野菜である可能性が高いです。
スーパーマーケットの野菜コーナーは、一年中いつ見ても旬の野菜が並んでいるといっても言い過ぎではありません。
陰陽からみる野菜
問題なのは、野菜ではなく人。
野菜を食べる人のほうに、旬にまつわる問題があるんです。
輸送されて遠くから運ばれてくることの人間への影響。
それは決して難しいことではなく、あなた自身が身をもって体験しているはずのことです。
たとえばキュウリ。
真冬にキュウリをバクバク食べたいと思いますか?
真夏の暑苦しいときであれば、何本でも丸かじりしたくなるようなキュウリでも、真冬にコタツに入りながら食べたいとは思いません。
夏のくそ暑いときに、大根や白菜などをたっぷりといれた鍋を食べたいとは思いません。鍋は寒い冬にこそ美味しい料理です。
コタツに入りながら食べるキュウリが、快適な気候で育てられた旬の美味しいキュウリだったとしても、なんとなく体が受けつけないんです。
寒いときにキュウリ自体を食べたいと思わない。
それはふつうの感覚です。
キュウリを食べると体が冷えるからです。
中国には陰陽(いんよう)という考え方があります。
森羅万象、宇宙のありとあらゆる事物をさまざまな観点から陰(いん)と陽(よう)の二つのカテゴリに分類する思想のことです。
簡単にいってしまえば、すべての物事は対極の二つがバランスをとっている、ということなんですが、
光と影
表と裏
雨と晴れ
膨張と収縮
女性と男性
というように対になっている事象のことを指しています。
「陽」とは収縮していく求心的なエネルギー、「陰」とは拡散していく遠心的なエネルギー、と表現することができます・・・がちょっと分かりにくいですよね。
私はこの道の専門家ではありませんので、詳しく知りたければご自身で調べてみてください。
この陰陽が、野菜にも当てはまります。
そのことがキュウリを食べると体が冷えることと関係があるんです。
野菜に陰陽を当てはめたときに基準とする要素には
色(青系、赤系)
形(長い、丸い)
水分(多い、少ない)
固さ(硬い、柔らかい)
重さ(重い、軽い)
と、色々な基準をもとにして陰なのか陽なのかを判断するようです。
あんまり詳しく解説はしませんが、キュウリはそれらの基準に従っていくと
青系、形が長い、水分が多い、どちらかというと硬い、わりと重い
ということで
陰性の食品
に当たります。
そして陰性の食品には体を冷やす作用があるので、陰陽の原理でいうとキュウリを食べると体を冷やすということになります。
野菜農家からみる陰陽
・・・なんだかピンときませんね。
陰陽の原理では体を冷やすと言われても、陰陽がしっかりと理解できていなければ納得できるものではありません。
そこで。
うまく伝わるかわかりませんが、野菜農家の視点からもうすこし分かりやすく書いてみます。
みなさんそうだと思うんですが、暑ければ涼しくなりたい、寒ければ暖かくなりたいですよね。
暑くなった体を冷やしたい。
冷たくなった体を温めたい。
そう思いますよね。
このときに、食べることで体を温めたり冷やしたりすることができるんです。
たとえば分かりやすいものでいえば生姜(しょうが)。
生姜は体を温めてくれる食材として、漢方などに利用されるほど有名です。
逆に体を冷やしてくれるのが唐辛子(とうがらし)。
これも体を温めてくれる食材のように感じるかもしれませんがこれは逆です。
食べた直後は温まりますが、最終的には体が冷えます。
インドで辛いカレーが盛んに食べられているのはなぜでしょうか?
辛いものを食べることで体がゆるむ、血行が良くなって体温が下がることが結果的に体を冷やすことになるんです。
暑い地域だからこそ辛いカレーを食べて体を冷やそうとしているんです。
生姜は体を温める。
唐辛子は体を冷やす。
この差はなんでしょうか。
ものすごく単純に噛みくだくと、食べる部位がどこにあるのか、ここに集約されます。
生姜は、地面の下にある根っこが太ったものを収穫して食べます。
地面の下です。
唐辛子はピーマンの仲間ですが、地面より上で茎葉が茂ったその場所に実をつけます。
その実を完熟させてから収穫して、料理に使います。
地面より上です。
この差なんです。
収穫する部分が、地面より上にあるのか下にあるのか。
天に向かっているのか、地に向かっているのか。
太陽に向かっているのか、地球に向かっているのか。
この差こそが、それを食べた人の体を温めるのか冷やすのかを決めているんです。
ほかの野菜でもたいだい当てはまります。
トマト、キュウリ、ナス、オクラなどいわゆる夏野菜は、地面より上の高いところで実をつけます。
だから食べると体を冷やします。
大根、人参、ゴボウ、カブなどの冬に食べると美味しい野菜は、地面に隠れた地中に食べる部分があります。
だから食べると体を温めます。
里芋やジャガイモなどは、陰陽では陰性で体を冷やすと言われていて、あれは地面の下にあるからおかしいじゃないか!と思われるかもしれません。
でも里芋やジャガイモは、人間が食べる都合で茎に土をかけて栽培しているだけで、本来は地面の上にあってもおかしくない部位を食べているんです。
だから陰性だという解釈は間違っていません。
その野菜の、植物生理などを考えていくと、地面の下にあるものは陰性で地面より上にあるものは陽性である、という解釈はあながち間違っていないように思います。
感謝と選択をする
というわけで。
野菜には体を温めたり冷やしたりする作用がある、ということについて説明してきました。
いくら旬の気候で育てられた旬の野菜がスーパーの店頭に並んでいても、それを食べる人に効果的に作用しなければもったいないということです。
真冬にキュウリを食べることは、体を冷やすことにつながります。
せっかく旬の栽培で美味しいキュウリであっても、体が美味しいと感じないんです。
これは非常にもったいない。
だから。
旬の野菜を並べてくれているスーパーに感謝しつつ、それでもやっぱり地元の気候にあわせて地元で採れる旬の野菜が、体にとっては負担が少なく美味しく食べられる。
どれを買っても旬の野菜だけど、美味しく食べるなら地元で無理なく育つものを選んで食べよう。
というくらいがいいのではないでしょうか。