農薬はイヤ!という自分の気持ちに向き合ってみる
農薬。
どことなく危険が香りがただよう、なんとなくダークなイメージがつきまとう言葉です。
なんでこんなに悪いイメージがついてしまったのか。
なんでこんなに悪役にさせられてしまったのか。
有機農家として、ちょっと行きすぎた農薬への悪いイメージはなんとかしなければと思うところがあります。
農家という立場でいえば、農薬はちゃんと決められたとおりに使用するなら危険なものではありません。
これはあくまで個人的な意見です。
もちろん農家によっても、専門家によっても人によって意見は違います。
危険きわまりない、絶対だめだ。
という人もいるでしょう。
科学的に証明されているから安全だ。
という人もいるでしょう。
でも、安全かどうかの基準はあくまで目安であって、人によって安全に対する基準は違ってくるのが当然です。
安全かどうかの判断は、自分自身の心にゆだねられる。
といったことについては以前、ほかの記事で詳しく書いています。
有機野菜や無農薬野菜はどこで買うべきか その2 安全性
野菜の安全基準は心の中にある
農薬の危険性については、安全か危険かの基準をどこにおくのかの差しかない。
と個人的には考えています。
それでもやはり
なんとなくいやだなぁ
という感覚はあります。
わかりますか?
農薬は科学的には安全が証明されているんだから使用基準を守っていれば問題ありません。
って言ってることはわかるんだけど、なんかもやもやした感じ。
どうしても不信感がぬぐいきれない感じ。
なにが正解とか不正解とか、なにが真実とかそんなことじゃなくて、なんとなく受け付けない。
そんな感覚、ありませんか?
安全だ!危険だ!論争
例えば。
砂糖は危険、という意見があります。
中毒性があるからやめられなくなる。
低血糖になりアドレナリンが多く分泌されることで、落ち着きがなくなったり攻撃的になったりする。
太るし、虫歯になりやすい。
体にさまざまな悪影響を及ぼす、諸悪の根源だ。
という意見は、書籍でもインターネットでもいたるところから見つけることができます。
一方で。
砂糖をうまくとれば効率的に脳内物質セロトニンが作られ、心が癒される。
脳に対する速効性のエネルギー源として有効。
白砂糖はよくないけど、黒砂糖などの粗製糖は体にいい。
などの砂糖のよさを主張する人もいます。
ある団体は砂糖の危険性について、科学的になおかつ感情に訴えてくる。
でも別の団体は、砂糖の有効性について語る。
どちらの意見も正しいように感じる、いや否定派のほうが考え方としては理にかなっている。
など両者の意見を聞いたうえで、自分なりに解釈して考えて、砂糖は安全だという結論を出したとする。
砂糖は安全な食品だと。
でも。
自分で勉強して、賛成反対両方の意見を聞いて調べてみて、そこから結論を出して安全だと心から信じていたとしても、危険だという意見を消しきれないってことはありませんか?
安全だと知っているけど、もしかしたら砂糖によって健康を害している人がいるんじゃないか、という疑念。
自分も何十年後かには砂糖を食べていたことが原因で病気に侵されるんじゃないかという不安。
なんとなくいやだという感覚、食べるときに一瞬ためらってしまうような感覚。
こういうこと、ありませんか?
正しいと思っていた事実が変わる怖さ
自動車だってそうです。
環境に優しいエコカーですよという触れ込みで新車を購入したとします。
水素自動車を。
エネルギーをつくる代わりに排出するのは水だけ、排ガスはいっさい出さない。
水素は地球上に無限に存在するから、エネルギー枯渇の心配がない。
究極のエコカーだ。
自分はエコカーに乗って環境に優しい暮らしをしているんだと。
自慢げに、優越感に浸ってエコカーに乗ったりします。
ところが。
燃料であるその水素を作るためには、製造過程で石油などの燃料が大量に必要だとしたら。
地球はじつは温暖化ではなく寒冷化していて、二酸化炭素はどんどん排出しないといずれ氷河期になってしまうとしたら。
水素自動車はエコカーではなくなってしまいます。
(実際そのような意見もあります)
もしかしたら環境に優しいエコカーなんてのはメーカーの販売戦略、たんなる売り文句なのかもしれないと思ったとたん、エコカーに乗っているときにはなんとなくもやもやとした気持ちが生まれます。
すっきりとしないモヤモヤ感。
心のストレスをなくす
こういったなんとなくいや、という感覚は大事にしていいと思います。
本当のところは誰にも分からないんです。
危険だといっている人がどんなに科学的に証明したとしても、100%それを信じることはできない。
病気についての統計を持ち出されても、その数字をどこまで信じられるのか。
Aさんには危険でもBさんにとってはたいした問題にならないかもしれない。
新しい情報を手に入れたことで自分の意見が真逆にふれるかもしれない。
そういうことは日常的に当たり前のように降りかかってきます。
大事にしたいのは自分自身の気持ち。
いろいろ調べて納得したことでも、それが100%正しいなんて誰にも分からないんです。
分からないんだから、分からないなりにその場で判断・決断していくしかないんです。
心のストレスが体に及ぼす影響は決して小さくありません。
だからこそ、そのときどきの判断を後悔しないような心の状態を保ちたいものです。
というわけで。
なんとなくいやだという感覚。
これは大切にしたい感覚です。
なんとなく農薬はいや、安全性に疑いはないけどやっぱりイヤ。
食べる側の立場で、農薬はやっぱり避けたいなぁと思って有機野菜を選ぶのもいいでしょう。
私でいえば、農家という立場で農薬にたいして安全性に疑問をもっていなくても、なんとなくいやだから使わないでおこう、という感覚ですね。
もちろん根底には、野菜を健康に育てるためには使う必要がない、むしろ使わないほうがいいと思ってるところもありますが、なんとなくいや感があるのも事実です。
こういう心の内にあるものを大切にしないと、精神的なバランスをくずして病気になることだってあります。
食の安全、食による健康を考える前に、心の健康を保つべきではないでしょうか。