農薬が危険だと思っている人へ 技術は進歩する
今回は農薬の歴史に触れながら改めて、
農薬は本当に危険なものなのか
農薬は本当に必要なものなのか
ということについて考えてみたいと思います。
農薬は危険だという情報を鵜呑みにするんじゃなくて、なぜ危険だという意見が世の中に多いのか、その危険性は自分にとっても当てはまるものなのか、しっかりと考えてみる必要があります。
なんでもかんでも危険だといって避けるのではなく、まずはしっかり向き合ってみて、それでも必要ないと思うなら近寄らないようにしましょう。
ちなみに私は有機農業者ですから農薬は一切使っていません。
それは農薬が危険だから使わないのではなくて、野菜を健康に育てるためには必要ないから使っていないだけです。
健康に育てて美味しい野菜をお届けするためには必要がない、それだけのことです。
今現在、ほとんどの農薬において危険性は限りなく少ないと考えていますし、環境への影響も大きくないと踏んでいます。
そのうえで、農薬を必要とする農業もあって当然、農薬を使うことで幸せになれる人がいるなら適正に使用すればいいと考えています。
でもこれは。
あくまで有機農業者のひとつの考え方です。
皆さんに農薬の是非を問うことはありませんし、強要するつもりもありませんが、敵だと決めつける前に農薬をよく知る努力をしてみてほしいと思います。
農薬の歴史から考えてみる
まず最初に。
ごくごく簡単に農薬の歴史についてふれていきます。
おおざっぱに言えば、日本で農薬が本格的に使われだしたのは戦後のことです。
1940年代ですから、日本における農薬の歴史はまだまだ浅いといえます。
その頃に出てきた農薬は、DDT、BHC、パラチオンといった毒性の強い農薬が多くて、人に対する害はもちろん環境汚染の原因にもなるものでした。
農薬による死亡事故数
(画像参照:農林水産省)
これじゃまずいということで1971年に農薬取締法を改正して、毒性が強い農薬の販売禁止や制限をかけたり、登録制度によって審査することで安全を確保しようとしたりしました。
その結果、60年代から70年代にかけて、毒性の強い農薬が次々に姿を消していきます。
これら一連の社会問題について書かれた「沈黙の春」(1962年)という本はベストセラーになり、有吉佐和子氏の「複合汚染」(1974年)によって農薬の危険性はますます世間に広まることになりました。
その後も毒性の強いものや作物に残ってしまう性質のもの、土壌に残ってしまう性質のものなどに制限がかけられ、毒性が弱くて残留性の低いものへと移行していきますが、一度社会現象になった農薬害悪論はかんたんには消えず、
農薬=悪者
を今日まで引きずっている最も大きな要因になっています。
つまり。
「沈黙の春」や「複合汚染」が出版されていた頃の農薬は、危険性の高いものが多かったのは事実ですが、そのときのイメージがあまりにも強すぎて、現在ではかなり安全性が高まっているにもかかわらず危険なイメージから抜け出ることができていないという現状があります。
もちろん。
現在の農薬事情において完全に安全かといえばそんなことはありません。
まだまだ問題はあると思います。
ですがひどかったころとは比べ物にならない、ということは言えます。
最近ではネオニコチノイド系の農薬が問題になっていますが、これだって問題が浮き出てきて検証して、データを取ったり調査したりして、使用の是非を判断していけばいいんです。
そうやってひとつひとつを検証して使用すべきかを判断しつつ、すこしずつ安全な領域を増やしていくしかありません。
0か1か。
アリかナシか。
そんな2択で判断すべき問題ではありません。
農薬の危険性を大きく取り上げて「農薬はこの世からなくなればいい!」と叫ぶのは、意見としてはちょっと幼いですよ。
交通事故死亡者数から考える
このことについて、ほかの例をみてみると農薬排除論がいかに幼い意見なのか分かります。
(画像参照:国土交通省)
年末になるとメディアをにぎわすのが交通事故死亡者数。
忘年会シーズンということもあり交通事故に対する警戒感はいやおうにも高くなります。この交通事故死亡者数。
2014年は4,113人でした。
ピークだった1965年には16,765人もの方が亡くなっています。
高度経済成長期であり、農薬の危険性がクローズアップされていた時期でもある1960年代。
交通戦争と呼ばれたほどひどい状況だったため、様々な対策を行うことで改善をはかり、いったんは上昇したものの2005年以降は減少しつづけています。
減っているとはいえ2014年で約4,000人もの方が亡くなっているこの現状をみて
自動車は危険だ!乗ってはだめだ!
と主張する人はどれほどいるでしょうか。
死亡事故の多くを占める自動車事故を取り上げて「自動車は悪だ」と言う人がどれほどいるでしょうか。
各自動車メーカーは、自動車事故をゼロにすることを目標にして日々がんばっています。
ABS(アンチロックブレーキシステム)を装備して急ブレーキでの挙動を安定させ、エアバッグを装備することで事故を起こしたときの乗員の安全を確保しようとしています。
車両の衝突安全性能を高めたり、タイヤのグリップ性能を高めたり、衝突しそうになったときにブレーキをアシストするシステムを搭載したり、自動車の安全に対する技術は日々進歩しています。
それでも最近では、タカタのエアバッグに欠陥があって重大な事故を招いたとしてリコールや訴訟が起きています。
これだけ進歩した自動車の安全技術ですが、まだまだ改善すべき点は数多く残されているんです。
技術は進歩する
農薬がダメで自動車がOKな理由はなんでしょうか。
農薬 - 自動車
沈黙の春 - 交通戦争
毒性や残留性の改善 - 車両安全性能向上や法律改正、道路インフラ整備
ネオニコチノイド問題 - エアバック不良問題
こうして並べてみると、それらを取り巻く状況は似ているところが多くあります。
なのに農薬は批判され、自動車は批判されない。
なぜなんでしょうか。
大都市に住んでいて自動車に乗らなくても生活できてしまう人にとっては、自動車は必要ないものです。
地方に住んでいて自動車がないと生活に不便であれば乗ったらいい。
万が一でも事故に遭ったり事故を起こしたりするのがいやなら乗らなければいいんです。
自分の環境にあわせて、自動車とどう向き合っていくのかを考えたらいいだけの話です。
農薬だって同じ。
農薬がかかっている普通の野菜を食べていても身体に不調を感じないし美味しいと思えるなら、ふつうにスーパーで野菜を買えばいい。
アトピーを改善したいとか、子どもには少しでも安全なものを食べさせてやりたいと考えているのであれば、有機野菜と呼ばれている農薬を使っていないものを買えばいいんです。
自分の環境にあわせて、農薬とどう向き合っていくのかを考えたらいいだけの話です。
農薬を全否定するのはやめませんか?
科学の進歩はトライアンドエラーです。
失敗を繰り返しながら、それを糧にして改善をして、よりよいものをつくりだしていくんです。
危険!危険!という脅しにまどわされて、
技術はこれまでずっと進歩してきたし、これからも進歩していく
という大切なことを忘れないでください。