野菜の季節感 抽台(トウ立ち)で春を感じる

菜の花畑
菜の花が見ごろを迎えて、春の訪れを告げています。
というニュースを2月とか3月によく見ますよね。
逆にいえば、早春ではない季節に菜の花の話題はあまり目にすることがありません。

それはなぜでしょうか?
なぜ春にだけ菜の花が注目されるんでしょうか?
今回は。
菜の花が春に咲く理由とともに、野菜農家にとって菜の花が咲く早春が非常に怖い季節だということをあわせてお伝えしていきます。
最後までご覧いただければ、早く暖かくなってほしいという生活者としての希望と、まだまだ寒いままでいてほしいという農業者としての希望、両者の狭間で葛藤する農家の苦悩が読み取れると思います。

野菜には菜の花と同じ仲間が多い

みなさんおなじみの菜の花。
白や黄色の花を咲かせる、あの植物は植物分類上では
アブラナ科
に分類されています。
動物のなかで人間が「ヒト亜族」と分類されるように、植物にも分類があって菜の花はアブラナ科に属しています。

そして野菜の多くは、アブラナ科に属するものが多くあります。
キャベツ、ブロッコリー、カリフラワー、カブ、大根、小松菜、水菜、チンゲンサイ、白菜。
おなじみの野菜がけっこうあるんです。
これらの野菜、アブラナ科の野菜は夏の暑さには弱いため、いわゆる夏野菜でアブラナ科が育てられることはあまりありません。
でもそれ以外の季節、春秋冬ではけっこうな種類の野菜がアブラナ科であることが多いです。

これは。
アブラナ科の野菜がなければ食卓が貧相になってしまうことを意味します。
さきほど挙げた野菜を食材として使えないとしたら、料理のレパートリーはけっこう減ってしまうんじゃないでしょうか。
日本人はかなりアブラナ科に頼っているんです。

そのアブラナ科信仰は。
冬から春に季節が移っていく時期に、一時的に崩壊を迎えます。
頼っていたものが、急に頼れなくなってしまうんです。

野菜の商品価値が一瞬でなくなる?!

いろんな野菜を育てて詰め合わせボックスをつくって発送している野菜農家を想像してみてください。
2月の寒いなか、
キャベツ、ブロッコリー、白菜、小松菜、水菜、大根、カブ
を収穫して出荷していたとします。
これらはアブラナ科です。
ほかにも人参やホウレンソウ、ネギなどが収穫できますし、ジャガイモや里芋などのイモ類が保存されていればそれも出荷することはできますが、真冬に収穫できる野菜はアブラナ科がけっこう多いんです。
そんな状況で。
まだまだ畑にはたくさん野菜が残っているぞ。
3月も4月もずっとお届けできそうだ。
と考えていたらどうなると思いますか?

3月になって、
日中はだいぶ暖かくなってきたなあ、春が近いなあ。
と思っていると、茎が集まっている葉の付け根の部分、野菜の芯のところになにやら蕾(つぼみ)のようなものが・・・。
そのつぼみのようなものは、茎を伸ばすと同時にどんどん地面からはなれ、天に向かって伸びていきます。
そして花を咲かせます。
その花は、みなさんがよく目にしている菜の花そっくりです。
トウ立ちキャベツ

そうなんです。
アブラナ科に属する多くの野菜は、みなさんが春の風物詩として楽しみにしている早春に、菜の花と同じように花を咲かせてしまうんです。
これを抽台(ちゅうだい)もしくはトウ立ちと言います。

ということは。
3月4月のための野菜が畑にたくさん残っていたとしても、花を咲かせる季節には野菜が菜の花に変わってしまうということです。
キャベツをキャベツとして出荷できない。
小松菜を小松菜として出荷できない。
ということです。

人間からみれば大問題、でも

年間とおして切らさずに野菜をお届けしている農家にとって、抽台は頭の痛い問題です。
だって出荷できる野菜が一気になくなるんですから。
アブラナ科野菜がなくなったら、3月は何を出荷すればいいんですか?
ジャガイモ?
里芋?
人参?
ネギ?
野菜セットをつくっている農家にとっては、種類がそろわない非常事態になってしまいます。

定期購入している人にとっても困りますよね。
おたくから一年間ずっと野菜を買うつもりでいたのにどうしてくれるの?
早春だけよそから野菜を買わないといけないの?
という声が聞こえてきそうです。

でも。
それが現実なんです。
栽培で無理をすれば、早春でも収穫できるようにもっていくことはできます。
ビニールハウスを使ったり、抽台のタイミングが遅い品種を使ったり。
そうやって工夫をして、野菜を切らさずに年間とおしてお届けできている農家もいます。
できないことはないけど、ちょっと難しいということです。

ほかの季節はいろんな種類の野菜があって楽しめるのに、早春だけ野菜の種類が少なくなるなんて・・・。
なんか世の中うまくできてないなあ、って思われますか?

でも。
野菜の立場になってみると、人間の都合なんてちっぽけだと気付かされます。
冬に収穫していた野菜が、3月や4月には野菜じゃなくなってしまうことには、大きな意味があることに気付かされます。

人間との共存関係を超えた本能

野菜はそのへんに生えている雑草とは違って、人間と共存することを選んだ植物です。
子孫繁栄のほとんどを人間に委ねています。
人間に育てられたり種をとってもらったり、その種をまいてもらったり。
そうやって植物としての命をつないできた存在です。
野菜という自然界では特別な植物は、人間の存在なしにはその姿を維持できないんです。

詳しくはarrow070_01野菜は人間と共存することを選んだ植物

でも彼らは、おそらく人間の存在を意識していません。
ごく一部で、人間を認識していると思われる事例がありますが、ほとんどはただただ精一杯生きているだけです。
与えられた環境のなかを必死に生きているだけなんです。

その行動は。
子孫を残すため
という一点に集約されます。
私たちだってそうですよね。
生活の多様化、生き方や考え方の多様化によってぼやけてしまっていますが、人間だってものすごく大きな視点でとらえれば
子孫を残すため
という一点に行動が集約されるはずです。
動物だろうが植物だろうが、生きているすべてのものは子孫を残すために必死になるんです。

つまり。
春になって抽台して花を咲かせるのは、子孫を残すために本能的にやってることで、人間の都合なんて及ばない領域なんです。
早春だけ野菜が少ないなんて納得できない、とか言ってる領域の話ではないんです。
人間(日本人)は、ある程度この事実を受け入れるべきだと思います。

彼らの本能である抽台を受け入れつつ、共存してくれている野菜たちに感謝する。
そんな気持ちでいたいものです。

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