自転車旅行
2002年4月~2003年8月までの1年4ヶ月に及ぶ自転車日本一周
働いていた会社を辞め、安定した生活を捨てての実行。
楽しいことばかりじゃなかったけど、そこには常に自由があった。
何者にも縛られない自由が・・・。

自転車日本一周で得られたものはなんだろうと、ふと考えてみる。

日程のほとんどをテントで過ごし、毎日がキャンプだった。
テントで寝るということは布きれ一枚で外の空気に触れて生活するということ。
気温の変化、四季の変化をダイレクトに感じることができる。
寒くて1時間おきに目が覚めてしまうこともあった。
暑くて2時間経っても寝つけないこともあった。
あるときは波の音を聞きながら、あるときは草木のざわめきと虫の音を聞きながら、あるときは一切の音がない静寂の中で・・・すべてが貴重な体験だった。

日の出とともに起き、日没とともに眠る。
毎日がそんな生活。
カンカン照りの晴れた日も、どしゃぶりの雨の日も、地震も雷も逆らわずに受け入れるしかない。
自然の中で生かされている自分の存在に気づいた。

自転車を動かすためにはエネルギーがいる。
腹一杯食べたはずなのにすぐにおなかが空いてくる現実。
朝のすがすがしい貴重な時間を無駄にしたくなくて、本当はご飯とみそ汁が食べたいのに自炊には時間がかかるという理由で食パンをかじって朝食を済ませる日々。
食パン3枚をお腹に入れて出発すると、2時間後にはもう空腹。
どうやら食パン3枚だと2時間分のエネルギーにしかならないようだ。
ここでバナナを1本かじる。
するともう30分は走れる。
そうか、バナナ1本で30分のエネルギーになるのか。
食べたものがエネルギーに代わる、ダイレクトな感覚を味わうことができた。
食べることは生きるということなんだと、気付かせてくれた。

夕食には大抵ご飯を炊いた。
アウトドア用の鍋に米を入れて火にかける。
1日走ってきて腹ぺこぺこで、米を30分間水につけておくなんてことはできない。
水をしっかりと吸っていない上に火加減の難しいアウトドアバーナー。
思いっきり焦がしてしまうこともあるし芯が残ってしまうこともある。
そんなご飯とみそ汁だけという夕食のときもあった。
一見するとひもじい食事。
それでもご飯がおいしいと感じるのは、外の空気をいっぱいに吸いながら食べるからだ。
夕日を見ながら1日のことを振り返りながらいただくご飯。
高いお金を出してレストランで食事するよりも贅沢かもしれない。
環境が食卓を豊かにしてくれた。
食べるということは五感すべてで味わうことである。

適度な運動と規則正しい生活リズム。
ほどよい睡眠時間と3度の食事。
これだけ健康的な生活をしていれば病気になるはずもなく、たった1度だけ不覚にも風邪をひいてしまったことを除けば、無事に日本一周を達成することができた。
1日30品目の食品をとること、栄養バランスを考えた食生活をすること。
日本で理想とされている食生活とはほど遠かったが、そんなことは関係ない。
ご飯とみそ汁、そして納豆や豆腐。
お茶をすすって「ぷはぁ~」で大満足だ。
日本をじっくり回りながら日本人が昔から食べてきたものをいただく。
パンを食べているときよりも、スパゲッティを食べているときよりも、ご飯を食べているときに一番日本人でよかったと感じる。
日本人の体は長い稲作文化の歴史の中で作られてきたんだと、旅の粗食を通して感じることができた。
日本食のよさを改めて考えることができた。

日本一周で得た健康的な生活スタイル。
旅が終わってからもなんとか持続できないだろうか。
体を動かす仕事をして、ご飯を中心とした食生活を楽しんで、太陽とともに生活リズムを作っていく。
自然を肌で感じられるような生き方。
そんな生き方をしていくには・・・ほら見つかった。
農業だ。
現実を直視すれば農業だけで生計を立てていくのは大変かもしれない。
減り続ける農業人口。
どんどん進む高齢化と担い手不足が農業の厳しさを物語る。
けれどもそれがなんだっていうんだ。
1年を2人で100万円以下で生きてきた日本一周での経験があればなんとかなるさ。

自分の望む生き方ができなければお金をいくら稼いだって幸せにはなれない。
幸せはお金だけじゃ手に入らない。
じーさんになって死に際に
あーーいい人生だった
と心から思えるような生き方をしたいもんだ。