安心と安全の両方を満たすための唯一の指標とは?

安全な食べもの。
安心できる食べもの。
あなたはどちらを食べたいと思われますか?
おそらく。
安全で安心な食べものに決まってるでしょ。
と言われることを承知で聞いているんですが、どちらか一方を選ばなければならないとしたら、どちらを優先しますか?


なぜこのようなことを聞くのかというと、安全と安心が同じだと思っている方が意外と多くおられるからです。
もしくは安全と安心の違いが明確に分かっていない方が多くおられます。

安全は、物質的な問題。
安心は、心の問題。

まったく違うものです。
今回は、安心と安全の違いについて明確にしながら、両方を満たすことは非常に難しいということについて書いていきます。
興味がありましたら是非ご覧ください。


安全と安心はセットではない、ということ

安全なら安心できるかといえば、そうならないことはあるし、安全性に欠けていても安心できる場合だってあります。
安全と安心を切り離して考えるべきだということについて、いくつか例を挙げてみます。

たとえば。
インターネットサイト価格.comは利用したことはありますか?
価格com
ひとつの商品に対して、販売店がどんな価格をつけているのかを比較できるサイトです。
なにか欲しいと思った商品があったときに、一番安い価格をつけている販売店を探すことができますし、どんな商品が売れ筋なのかを知ることもできます。

ここでもし、あなたがデジタルカメラを買おうとしているとして、価格.comでそのデジタルカメラの最安値をつけている販売店を調べたとします。

このとき。
最安値を提示しているその販売店の取引評価があきらかに低かったらどうでしょうか。
価格.comでは、過去の取引についてのお客様の評価を知ることができます。
梱包が雑だったとか、メールや電話での対応が不親切だったとか、届いた商品が壊れていたとか、購入したお客様が不満に感じた取引を続けていると、その販売店の評価はどんどん下がっていくんです。
そのような評価が低い販売店で、あなたはデジタルカメラを買いたいと思うでしょうか?
高性能で評価が高いデジタルカメラであっても、それを売っている販売店が信用できなければ安心して買うことができません。
これは。
販売している人や会社は信用できないけど、商品は信頼できる。
という状態です。
品質はOKだけど安心できない。
⇒安全だけど安心できない。
そんな状態と同じです。


逆に。
片田舎のさびれた喫茶店を想像してみてください。
喫茶店
特別おいしいコーヒーが飲めるわけでもなく、おしゃれな内装で雰囲気のある空間が演出されているわけでもない。
どこにでもあるような喫茶店とも言えますが、ちょっと入るのをためらってしまうような喫茶店、ありますよね?
そんな喫茶店でも、常連客はいるものです。
その常連客はなぜそんな店に通うのかといえば、
コーヒーを淹れてくれるマスターのファンだから。
マスターとゆっくり話をしながら、のんびりと休日を楽しみたい。
そのさびれた感じが好き。
だから、さびれていてもその喫茶店に行くんです。
この場合は、コーヒーという商品がいいから選んだのではなく、そのコーヒーを提供してくれる人で選んでいます。
つまり。
品質はNGだけど安心できる。
⇒安全ではないが安心できる。
という状態です。

 

何が言いたいかというと、安心と安全はセットではなく、切り離して考えるべきものだということです。
安全は形あるもの。
安心は心の問題。
そもそもの立っている土俵が違うんです。

自動車の安全性について考えてみても同じです。
現在の技術では、完璧な安全性能は望めません。
技術革新はすごいと思いますが、突然の故障やトラブルは未だになくなっていません。
ついでに言うと事故もなくなっていません。

それでも安心して乗れるのは、自動車メーカーを信用しているから。
ある程度、製造元を信頼しているからこそ、安心して高いお金を出して自動車を買えるんです。

 

安全と安心を両方満たすことはけっこう難しいです。
それは、生産者と販売者を共に信頼できなければならないから。
その商品に携わっている全ての人を信用しなければならないから。
どこまでいっても100%の安全はありませんし、販売者の心のなかまで本心を知ることも不可能です。
安心と安全を満たすことは難しい。
まずはその前提に立つことから全てが始まると思います。

 

信じられることが安心を生む

食べものに対しての安心はどこから生まれるんでしょうか?
安心できるということは、心が安らぐ状態、つまりその食べ物に対して不安がないということです。
科学的に安全が証明されていたら安心できるでしょうか?
残留農薬がこのくらいで、硝酸態窒素はこのくらいで、放射線量がこのくらいで・・・。
と科学的なデータを提示されたら、安心して食べられるでしょうか。

以前の記事で書きましたが、安全基準というのは全ての人に対して安全を保証するものではありません。
    詳しくはarrow070_01野菜の安全基準は心の中にある
このくらいの基準値であれば、一般的な食べ方(量)をするなら99%の人に対しては安全が保障される。
というようなライン引きがされています。
100%安全というわけではないんです。
1%の人にとっては、化学物質過敏症だから反応が出てしまうとか、特定の化学物質に対して反応が強く出てしまうとか、カップラーメンを一年中朝昼晩食べ続けているとか、平均から大きく外れるようなときには科学的に証明された基準値は意味がなくなってしまいます。

そもそも。
その基準をつくった国を信じられなければ、科学的な数値を信じることはできません。
その基準が安全であると証明した科学者を疑い、その基準をもとにして検査をした検査機関を疑い、流通や卸業者が不正をしていないかどうかを疑い、スーパーなどの小売店が鮮度保持のために何かかけていないかを疑う。
どれだけしっかりとした安全基準を設けたとしても、それを信じることができなければ安心につながることはありません。

 

多くの人が関わって食卓に届く以上は、どうしても信用できないところが出てきます。
これはしょうがないことです。
じゃあ信頼できる農家から直接買えばいいじゃないか!
と思われるかもしれません。
それはひとつの答えですが、すべての食品でそれやるのは無理があります。
農家から買えるものもあれば買えないものもあります。
野菜や米は買いやすいけど、肉や魚を農家から直接買うのは難しいです。
加工品になればさらに難しくなります。

それでも、できるだけ安全なものを手に入れたいなら。
信頼できる食品宅配会社を利用すべきです。
そういう会社を探すべきです。

パルシステム、大地を守る会(大地宅配)、わんまいる、らでぃっしゅぼーや、生活クラブなど

多くの食品を扱う宅配会社では、独自の仕入れルートを持っていたり、独自の安全基準を設けていたりします。
かなりの情報公開をしていたりします。
安全性を高めることは、透明度を高めることです。
安心できるためには、透明度が高い必要があります。

包み隠さず情報公開している。
透明性が非常に高い。

このことが安全にも安心にもつながっています。

 

大事なのは透明性

結局のところ。
安全と安心はまったくの別物です。
安全は形がある物質的な問題。
安心は形がない心の問題。
まったく違うものではあるけれど、共通しているのは
透明であること
が重要だということです。
透明であれば、安全である可能性が高くなりますし、安心できる可能性も高くなります。
すべては透明性にかかっている。
ということです。

 

 

PAGE TOP